ゆるめる(力を抜く)
:直接的に、特定の部分だけを弛緩しようとする
動くことを許す
:間接的に、全身が連動する状態を起こす
自分自身、また、
これまでの生徒さんとの探求の経験から
運動に苦手意識をもつ部類に当たる
私なりに、言葉を言い換えると
こんな表現になります。
指導者の方や
動きを誰かに教えようととする方で
動くことを許すという意図で
「ゆるめて! 力抜いて!」と
声かけすることも多いと思います。
動きに苦手意識を持ってない人や
動きを自分なりに探求し続けている人は
言葉の向こうにある指導者の
「全身が連動している状態を起こす」
という意図をうまくキャッチし、
指導者の伝えたい結果を出せるのですが、
例えば
動きに苦手意識があったり
運動無理…と思っている方の場合、
(私はこっちのタイプです)
ゆるめて!、力抜いて!
と声掛けされると
自分の乏しい経験の中から
例えば指示された部分(の筋肉)を
直接的になんとか緩めようとして
撃沈します…。
訓練を積んだ、
動きのエキスパートでさえ
全体の連動性を損なわずに、
直接的にその部分の筋肉を緩めることは
難易度が高いのに
動きに苦手意識がある人が
直接的に緩められるわけはないのですが、
その知識しかないから
そうなってしまうんですよね。
↑過去の私です。
今も反射的にそれをやりがち。
ゆるめる(力を抜く)と
動くことを許す
(全身が連動する状態を間接的に起こす)
の区別
ゆるめる(力を抜く)という言葉で
指導者が伝えようとしている場合、
そのほとんどは
「全身が連動する状態を起こしてほしい」
いうことを言っている
ということが
体感として理解できるようになると、
それだけで動きへの
アプローチの仕方が変わります。
アプローチの仕方が変わると
何かに取り組んでも、
今まで違う結果になります。
失敗98%、
何かわからないけどうまくいった2%
↑長い間練習してもほぼこの状態。
(やっぱり私、運動神経ないんだ…)
が
取り組みの最初、
しばらくうまくいかない期間があるけど
そのうち、なんとなく
具体的な手ごたえをつかみ始め
だんだん自分なりのやり方を腑に落とせる。
(時間かかるけど、時間かければいけるわ)
というような状態になってきます。
私自身の実体験もそうですし、
教師仲間や、これまでワークを通じ
ともに探求を続けている生徒さんの様子からも。
ゆるめる(力を抜く)
→全身が連動する状態を間接的に起こす
と変換してとらえてみる
そんな捉え方もあるんだなと
頭の片隅になんとなくでいいので
置いておいてもらえたら。
頭の片隅になんとなく置いておく、
でいいです。
そのうち、
それに紐づいた情報が
いろいろ目に入ってくると思うので。