教師トレーニング中、
生徒同士でレッスンしあうことが
しばしばありました。
昔ある日のレッスンで
生徒役のクラスメートが出したお題が
食事後の食器洗いが苦痛で、
翌日朝までためてしまうをなんとかしたい。
食洗器が
まだまだ普及していなかったときです。
フルタイムで働いていた女性で、
休日はATトレーニングなど活動多々。
(いや、それはしょうがないでしょう…。)
私自身もフルタイムで平日はハードな仕事、
休日はトレーニング、という日々で
ほぼ同じ悩みを抱えていた状態で、
その時は
共感だけで終わってしまったように
記憶してます。
あれから何年か経て、
特に今、仕事が立て込んでくると
洗い物を翌日にためてしまうことが
多くなります。
ただ、以前よりは、
はるかに洗い物に対する苦痛感が
減っている実感があって。
以前よりも「清々しく保ちたい」望みが強いこと。
それが前提にある上で。
要因はいくつかありますが、
まず、環境を整える。
(好みの香りの洗剤や、
洗い心地が好きだなと思うスポンジを使う、
できるだけ洗いやすい動線づくり)
そして
「今日はお箸1本だけ洗って終わろう」。
食事のあと
台所に残った洗い物を見て
洗うのやだな~と思ったら、
「今日は、お箸1本だけ洗って終わろう」と
本当にそのつもりで、お箸1本だけ洗います。
私の場合、そこで終わろうとすると
(最初のハードルを越えられると)
すっきりしたい感を味わいたくて
結構最後まで調子に乗って洗えてしまいます。
こつは本当に
お箸1本だけ洗って終わるつもりで臨むこと。
「本心は全部洗いたいからそう思おう」と
よこしまな(?)気持ちが入ると
無理やり感が出て続かなくなります。
あと、全部洗あらえた後は、
洗えたね~と、
「疲れて嫌だ~」から「洗い物完了」
まですすめた自分をねぎらうこと。
本当にお箸1本だけ洗って終わる日も
もちろんありますがその時も、
よし、1本は洗った。と自分をねぎらう。
あまりに疲れすぎていて
「お箸一本だけ洗おう」
とも思えないときは。
潔く寝ます。
潔く寝れると、
夜中とか早朝にむくっと起きるので
それから洗い物を済ませ、
また寝たり、
そのまま起きて活動に入ったり。
自分に無理やり何かさせようとせず、
自分に起こる動き(感情を含む)
に寄り添いながら、
今できることを探しながらガイドしていく。
翌朝まで洗い物を持ち越してしまうことも
やはりありますが、
以前と何が違うかというと、
その洗い物が残っている光景を見ても、
「それだけいろいろ忙しかったんだな~」
と、叱咤激励モードではなく
ねぎらいモードで、
その状況を捉えられています。
無理やりそう思い込もうとしたわけではなくて
小さな小さな積み重ねで
なんか楽になったなと、
あらためて振り返ってみると、
捉え方や反応が変化していたことに気づく
という感じです。
食洗器、
以前は「あったらいいな~」
と思ってたのですが、
今は
「あったらあったらよさそうだけど、
なくても大丈夫だな~」
家族が多いと「やっぱり買うわ!」
となる可能性もありますが、
その時になってみないと何とも言えませんね。